タイ・バンコクのスラム街や貧困者を支援する団体を訪問するツアー

タイ・バンコクのスラム街や貧困者を支援する団体を訪問するツアー


タイのスラム

 1940年代からタイの首都バンコクには徐々にスラムが形成されるようになっていましたが、本格的なスラムが形成されるようになったのは1960年代に 入って工業化政策が本格化し軌道に乗り始めた頃でした。工業化政策によって都市部では安価な労働力を大量に必要としました。そして度重なる旱魃被害によっ て疲弊していた農民たちと都市部の労働需要があいまって、地方から都市へと仕事を求めて人々が流れ込みました。  しかし、政府はこうした労働者たちの住宅問題に対策を講じず見てみぬふりをした為、地方からやってきた人々は地価の沸騰した都市に自らの土地を 持つことが出来ず、土地所有者との正式な契約がないままに働く場所に近い空き地に住むようになりました。教育レベルの低い農民たちは低賃金の単純労働に就 くことしか出来ませんでしたが、それでも農業をするより収入がずっと良かった為、都市部への人口流入は止まらず、次々と空き地に不法に住む人が増えスラム が形成されました。


タイ最大のスラム街

クロントイスラムは約80,000人が住む、バンコク最大のスラムです。バンコクの玄関港であったクロントイ港へ仕事を求めて多くの人々が集まり、スラムを形成していきました。最初は数十世帯であったのが徐々に増えていき、1991年には世帯数が6,000以上に及びました。  クロントイスラムのある場所は元々河口洲の湿地帯で、塩分を多く含んだ土地は農作物を育てることも出来ず、人は殆ど住んでいませんでした。そこに地方からやってきた人々は廃材を使って家を建てました。下水道設備も整備された道路もなく、家々から出た汚水の上に渡した板の上を子どもたちが走り回っていたのです。そして雨期になって降水量が増えると床下の汚水は家の中まで浸水するといった状況で、衛生状態はひどいものでした。また次第に増えて行った家々は密接して建てられ、子どもたちが遊べるような広場も無ければ学校もありませんでした。さらには私有地や政府機関の土地に不法占領しているため、何度も立ち退きを要求され、一つ所に落ち着くことは決して出来ませんでした。そして、そういった生活環境面だけではなく、スラムの人々は一般の人々が受けられる公共サービスを全く受けられない状態にもありました。例えば、出生証明書が無いために十分に教育をうけられず、適当な職業に就くことも不可能でした。 これら様々な問題は複雑に絡み合い、悪循環の繰り返しによりますます深刻なものとなって行きました。そして住民達は日々単純労働に従事する以外には他の世界のことを知る由もなく、世間の人々もクロントイスラムに関心を寄せませんでした。 

こうした中、1968年ある姉妹がスラムの子ども達の教育のために私塾を開きました。これがスラムにおける社会開発の発端となったのです。姉妹は子ども達を自宅に集め読み書きを教えるだけではなく、住民達に結束して問題と闘っていくことを呼びかけました。やがてスラムの問題と姉妹の活動はマスコミや大学の研究などを通して世間に広く知れ渡るようになり、スラムの外に住む人々もスラムに対する関心を持つようになっていきました。住民達も次第に結束力を強め、住民委員会を組織するようになり、人間として最低限度必要な居住地区の確保に取り組みました。そうして、住宅公団との交渉を何度も続ける中で人々は様々な事を学び、自発的な発言や交渉で非常に良い経験をつむことになりました。 

 
これが現在クロントォーイの貧困層を援助する財団の元となり現在に至ります。

スラムにはタイ人だけではなく近隣諸国(ラオス、ミヤンマー、カンボジア)からその日暮らし同然の生活している人々、子供達は学校にさえ行けず少女が売春をせざるえないような生活から抜け出せずにいます。  

このようなタイのスラムの現状を知って頂くために財団とスラムをご案内いたします。


料金:お1人1,200バーツ(うち1,000バーツは財団に寄付いたします)

時間:約2時間 スラム街の見学と財団でのビデオ視聴と日本語による説明

催行はお2人から、ホテルまで車でお迎えにあがります。

お問い合わせは下記メールアドレスまで

オンヌットネイションズ

ONNUT NATIONS ~オンヌット~

タイ バンコクで暮らす人のための情報サイト、特にオンヌット通り、BTSオンヌット駅周辺の情報に特化しております。

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